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お酢とタルタルソースが好きです

始まっていた3連休

無くしていた物の置き場所を思い出したように久しぶりにログインをすると、今月の閲覧数が3、今日のログイン数が1。自分が忘れていたものを誰が見たのか気になり恥ずかしいやら嬉しいやら。


友人宅から家に戻る途中に、世間はGWに入っており、前日が一日目であったことに気付いた。

一瞬、一日を無駄にした後悔に駆られたが、昨日は仕事をして夜から美味しいものを食べ、楽しい人達と飲み、後悔する理由が見つからなかった。知らぬ間にGWを満喫していたことに気付き、焦りは安堵に変わった。



前日は直接の関わり(例えば幼馴染だとか学校が一緒とか)では無いのに、会えばいつも笑顔で「いてて楽」と口にしてくれる後輩と銭湯に行き、彼の地元で飲んだ。

彼は地元に知り合いがたくさんいて、道行く人と挨拶をしたりして、ここが彼のホームであることを体現している。そんな後輩を持てて、ビジターなのに自分も何か誇らしい。


飲みながら、昔お世話になった教授に言われたことを話した。


「絶望的な状況になっても、必ず誰かに助けらる」


言われた時はピンとこなかったが、7年経った今でもこの言葉は自分の中に確かに存在している。自分の辞書の例文、見出しを張れるほどに胸に刻んでいる。

学校、バンド、仕事、遊び、あらゆる面で必ず誰かが救ってくれて、支えてくれて、今の自分がある。

人は一人では行きていけないと真に思う的な話を、酔ってついしてしまった。

そこから彼も、誰にも打ち明けていない事を話してくれたり、よく行くお店を教えてくれて、コミュ障な自分を受け入れてくれる人々と仲良くなったり。

嫌なこともその時は忘れて、年甲斐もなく久しぶりのオールは本当に楽しい時間だった。


後輩と仲がいいのは、僕と彼の波長があうからだと思っていたが、本当は彼の波長が僕の波長に合わせてくれたんただと思う。

合わしてくれない人とは仲良くなれないとか、そういった事を言いたいんじゃ無い。

合わせてくれた彼が、「一緒にいてて楽」だと、年上に躊躇いなく言ってくれる。それがただ幸せで、またこうやって、誰かに救われている事を実感できる。


残りの二日は、コミュ障だから一人で、1日目の余韻を感じながら過ごそうと思う。