フリーター、宇宙を感じる
原付を走らせながら銀行へ向かう道中、前々から引っかかっていたことが頭の中でぐるぐるって回ってリフレインに入り、思慮を巡らされる。
それは喉に引っかかった魚の小骨の如く、なかなか解消されない。
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バイト先の学生が話しかけてくる。
「淺田さん、面白い話があるんですけどね。」
「なになに?」
「友達のバイト先に、淺田さんと同じ年齢のニートがいてまして(ry」
待て待て。
勘弁してくれ。
イントロからなんだ、そのキャッチーでポップなフレーズは。
こいつはニートの定義を知っての発言なのか知らずの発言なのか。
いや、こんな至近距離で小刀をぶすりと刺してくるような奴ではない。
さらに惜しいことにそのフレーズから先の面白い話が頭に入ってこない。
その悪意のない悪口は矢の返しが鋭く、肉と言う名のプライドをグリグリ抉りながらなかなか抜き捨てられないものとなった。
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そんなことを考えながら銀行に着くも、駐輪場は満車で仕方なく歩道に少しはみ出して駐車する。
ネガティヴな思考に染まっている時は決まって、ついていない事象が平行する。
話を戻すがはっきり言えることは、自分はニートではなくフリーターだ。
さらに強がりを言うと、バイトではなく辛うじて契約社員の立場である。
バイトと正社員の中間的立場で月単位の労働時間以上は定められ、他店にヘルプにも行っている。
ましてや給料から月々3万近くの各種保険が差し引かれてもいる正直厳しい環境に身を置いている。
ニートとは「十五歳から三十四歳までの、家事・通学・就業をせず、職業訓練も受けていない者。」を定義としているが、就業はしているし、一応一人暮らしなので身の回りの家事だってしている。
そりゃニート生活は理想の1つではあるが叶う願望ではない故に、就業する気のない怠惰な人生を送っているわけではない。
なのにニートとはなんたる言い回しだ。
と、
仮にいくら力説したところで相手は学生。
社会的地位でニート<フリーターをいくら力説しようがフリーター<学生の社会的地位が揺らぐこともなく、「なに熱く必死に語ってんだこいつ」と、造作無くあしらわれるのも目に見えているので考えることをやめた。
用事を終えバイクに戻る途中、遠巻きになにやら黄色と赤の張り紙が目に入る。
確認するより先に、確信を得た。
駐禁だ。
ネガティヴな考えに浸っている時に、神も仏もないものなのか。
出頭命令を放置するわけにもいかないので、警察に行かざるを得ない。
最寄りの警察に行き、顔に生気のない警官に事情を話す。
そこから長時間にわたる尋問が始まる。
名前、住所、生年月日等聞かれ、次にこう問われた。
「ご職業は?」
捻くれた自分は「飲食業」と答えるも、もちろん警官もそんな回答を期待しているわけでもなく
「正社員?」
と重ねて質問をしてくる。
「フリーターです。」
ありのままに答えたのち、警官はしかめっ面で少し間を置き「無職」の欄に丸をつけた。
宇宙の真理を、その瞬間僕は目の当たりにした。
耳をすましたら死ぬ
月に一度、実家にフラっと帰る。
今日もまた用事があり実家に帰ると、母がテレビを見ていた。
「耳をすませば」
これを1人平然とした顔で見ている母に畏怖した。
なぜなら僕はこの映画に対して、思春期時に植え付けられた劣悪なイメージが今では化け物のような姿まで肥大化してしまい、1人で見ようものならその瞬間青春の権化に喰い殺されるのではないだろうかと恐怖心を抱いているからである。
調べたところ、耳をすませばを見た大人の7割が「耳すま症候群」に悩まされるらしい。
中学生のピュアな恋愛を、大人になった今ではもう経験できないことから、憂鬱な気分に苛まれるという。
いやまて。
それを踏まえると、大人になっても恋愛ができない人間の気持ちはどうなる。
そこに待つのは精神の自閉か、はたまた感情の死か。
そういった人達の、どうにも昇華のしようがない言葉を多感であった時期に鵜呑みにしてしまったせいで、まともにこの映画を観れない。もう12年も。
母が映画を見る傍らで雑炊をすすりながら映画をチラチラ見ているが、いや待て、以外と見れるかもしれない。
少し思うが、だんだん気付く。
見れる見れないは、もう映画の本質がどうこうという問題ではない。
大人になった自分に思春期の時の自分が、見てはいけないと叫び抑止してくる。
抗うこともできず、用もないのにとりあえずトイレに入る。
セラミックの便座が冷たい。
その瞬間、過去に何度か耳をすまそうとした記憶が蘇る。
しかしその度に僕は青春の権化に立ち向かう勇気を示すことができなかった。
僕は死ぬまでこの青春のラスボスに打ち勝てず、正規ルートのクリア画面を目の当たりにできないのだろう。
裏ルートの「猫の恩返し」は何度もクリアしているのに。
人として軸がブレている
思い返せば物心ついた時から今まで、極めたと胸を張って言える何かが無い。
何ひとつ無い。
幼稚園から高校までの間、何かと習い事をさせてもらっていたが、水泳、サッカー、剣道、等々、芽すら生えずに断念している。
これは親に口が裂けても言えないが、剣道に関しては中学から始めたものの半年ほどでサボってゲーセンに通い詰めるようになってしまい断念している。
そのゲームも、2.3年通って特別上手くなったわけでもないし、学生が使えるお金もたかが知れていて限界がある。
スポーツも勉強もできず、お金もない。
そんな悶々としていた中学三年生の時にベースをはじめることになる。
その経緯はまた別で書き起こすとして、これも手に入れてから数年、特別大した練習もしていなかった。
しかしゲーセンとは違い、楽器は買ってしまえばお金がかからず楽しめる。
当時から、僕の友達といえばインターネットだった事も功を得て、暇な時にYouTubeやブログでベースに関する情報や技術を漁り、理論武装したつもりでいた。
大学に入学した僕は、迷う事なく音楽サークルに入会。
しかし理論武装しただけのベーシストは脆い。
音楽サークルが無かった中学高校の時とは違い、経験者がいる世界の現実を叩きつけられた。
これはまずいと、そこからそれなりの練習をして付け焼き刃なりのベーシストにはなったが、2年後、ハマオカモトとフリーを足して5で割ったくらいのベース経験者が入部してきて、向上心は無くなった。
付け焼き刃で磨いたベーシストは脆い。
そこから悪く言えば自暴自棄、良く言えば視野が広がり、ドラムとギターに手を出した。
親友のインターネット君に色々教えてもらい、どれも初心者からは抜け出せるレベルにはなれたと思う。
この、手の出し方の流れが、冒頭での幼稚園から高校生までの習い事に酷似している。
結局サークル卒業時、後輩からつけられたあだ名が
「器用貧乏」
後にも先にも、ここまで的を射た悪口は付けられたことがないが、当時はこれを褒め言葉だと捉えていた。
本当に、褒め言葉だと勘違いしていた。
ここから器用貧乏に磨きがかかり、カホンとDJを始める。
ついでにカズーも始めちゃう。
言い忘れていたが大学生の間に、キーボードも手にしている。
DJを始めた頃に、そろそろ青いロボットと今よりもっといい年になった自分が未来からやってきて、「いい加減にしろ」と説教されるんではなかろうかとも少し思ったが、器用貧乏は止まらない。
昨年にはビートボックスの練習をしたり、ラップで曲を3曲使ったり、もはや楽器の枠を逸脱してしまっている。
先週は、いつの間にかAmazonでポチっていた「ディジュリドゥ」が届いてしまった。
言わずもがな察しては貰っているだろうが、どれも大成していない。
余談ではあるがガラクタルームが決まった時、学生時の腕前のままでは流石にマズいと、目標を立てながらコツコツと練習をしていたが、ゆーまのベースに対する異常愛を目の当たりにし、向上心は無くなった。
ベースを性的な目で見られないベーシストは脆い。
話はそれたが結局、ベースやギターやエフェクター、その他の楽器にいくら費やされたのかを考えるのもおぞましいほどに手を出して来た。
今ある話がうまく進めば、そろそろ自前のベースヘッドとキャビが手に入る。
極まるのは器用貧乏の名ばかり。
最後になったが、これは未来の自分に向けたブログである。
早く未来から来てくれ。
これ以上だと手遅れになってしまうぞ。
あの上司僕がキレ散らかしたらどんな顔するだろう
岡村靖幸の「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」文字変えてタイトルにしやすい説。
今回は温厚の代名詞と言われている僕が唐突に思ったこと。
飲食店で働いてるんですが、なんで上司(先輩)って忙しくなったらすぐキレるのかなと。
もちろん全ての上司がキレてるわけではないし、忙しい中で動きが遅い人がいたり、僕も日常生活でキレることもあるので、そりゃあ理由は多々あると思うから反論したいわけではないんですが
キレるメリットってなんなんですかね?
僕は容量が悪い方なので、研修の時は先輩に怒られた経験が多々ありまして。
仕事ってそういうもんなんだろうなって、ずっと思いながら働いてました。
何年かして後輩ができた時に、猛烈なピークに襲われ皆が我を忘れている中
「忙しすぎるやろ!!ヒャッハー!!」
みたいに吹っ切れてる姿を後輩が僕に見せてきたんです。
そいつが長嶋です。
同じ状況で今まで先輩が
「そこどいて!」
「早く運んで!」
「レジ早く行って!」
ってなってたのに、同じ環境で笑ってる後輩を見て、僕はキレない先輩になろうと思い立ったわけです。
それ見て「なんか分からんけど頑張ろう」って気持ちになったんで。
最近見たCMで
人は楽しいから笑うんじゃない、笑うから楽しいんだ
ってフレーズが引っかかってて
聞く人が聞いたら宗教チックというか、自己啓発に近いものと捉えられそうだけど、実際それを体験してる身からするとなるほどなど思ってしまう。
キレたところでピークは収まらないわけで
それならピークが収まるまで吹っ切れてた方が皆で頑張って乗り切れるってのが理に適ってるはず
だからどれだけ追い込まれても、絶対他人にはキレない。
上から「あいつイエスマンやから使いやすい」
下から「あいつ怒らんからチョロい」
ってのも何人かいてるのも薄々気付いてますけどね。
って思いながら何年か経った今、追い込まれたら自分にキレるようになってしまって、結局後輩から「あいつピークになったらヤバい」って囁かれてる話を最近聞かされました。
キレちゃダメ。
孤独のグルメ出来ない問題
どうも、個人経営の食堂大好き芸人です
唐突ですが皆さま「こ食」ってご存知ですか?
なんで「こ」が平仮名やねんって思った方もいると思いますが、この「こ」にはいろんな漢字を当てることができます。
そういえば「個人経営の食堂」も略したら「個食」ですね。関係ないし紛らわしいので冒頭の事は忘れてください。
僕は三大こ食(個食、固食、孤食)で教わったのですが、念のため調べて見たら、なんかいつの間にか8つくらいにメンバーが増えてるらしいです。EXILE tribeかよ。
そこまで増やしたらもう当て付けというか、問題にしたくてヤケになってる感出てきてる気が。
詳しく知りたい人はググってみてください。
で、今回は孤食の話。
まぁ一人で飯って出来事としては普通っちゃ普通なんですが、僕の場合一人でご飯食べた場合の事象が普通以下で、大半不快な思いをしてるんです。
例えば、近所に最近出来た居酒屋が刺身とか串揚げとか一品とか幅広く揃えてて、こういう居酒屋が近所に無かったので最高だなと思って行った時の話。
近場の居酒屋が、焼き鳥屋とか串カツ屋とか海鮮主力屋とかばっかなので、それらをひっくるめて一件で楽しめる。
言わばリーグをひっくるめた一年に一回のオールスター戦が、連夜続いてる状態。最高かよ。
わりと空いてたので行けると思い、入るやいなや、バイトしたばかり風の女の子が「おひとりさまですか?」といった後、オロオロし始めたんです。
人間国宝で円広志がフラッと入った店でも、ここまでオロってる人は見た事ないのにってくらい。
何にうろたえてるのかと思ってたら、後ろの店長に、
「お一人様らしいんですけど、お通ししていいですか?」
あかんの?
よく、お一人様ですか?って聞くな、見れば分かるやろって怒ってる人の話聞くんですけど、それを優に通り越して、拒否しようとしてる。
そんなんで怒ってたら、あなた達この現象をどう乗り越えるの?
店長も、いいけど、、、?って疑問形になってるし、なんでそいつは独自の判断で入店拒否の思考に至ったのか本当に謎。
お好きなお席にどうぞって言われたんですが、四人がけのテーブルが3×3に広げられてて、2列目の両端に、お一人様ではないゆえ速やかに通されたであろうお二人様が座ってる状態。あとは空席。
どう考えてもその2組の間の席はお好きなお席にはエントリーされないわけで、そこを避けて別の列の席に座ったんですよね。
出鼻挫かれても冷静な判断能力を発揮して。
そしたらさっきの女が、こちらの席でも良いですか?って指した席が
2組の間の席
お好きなお席にどうぞってどういう意味が込められてたのか
グループの間に一人を収めるってどういう判断なのか
流石に少しパニックになってしまって、気付いたら言われた席に着いてしまってて。
席に着いた途端、隣のヒッピー風夫婦のおっさんに
「にいちゃん、そっちのテーブル行きや」
って言われながら、指さしてる方見るとさっき自分が座ってたテーブル
大パニック
丁寧に事情を説明して納得させてる自分が、今思えば情けないけど、その時もう何が起きてるのか冷静な判断ができていなかった。
過去ここまで一人に厳しい居酒屋があっただろうか。
自分に客としての問題があったとしてもこんなおもてなしは初めて受けたし、テーブルの七輪のガス全然付かないし、日本酒の燗スレスレでお酒止まってるから、升の意味も分からんし。会計では伝票間違えて三万って言われるし。
体重44kgが一人で三万円分も飲み食いしてるところ見た事あるんかお前は。
終始ガキ使のマジギレツアー状態。
この前も思いがけずその店に行く機会があり、行ってみたらテーブルの串入れがパンパンで刺すところない状態でした。
今思えばアレもマジギレポイントやったんかな。
付いてない人って、こういうことがあると大体引きずって、行く店行く店でこういう思いするんです。
次の日はラーメン屋で、二口目でつけ麺の汁を全部ひっくり返しました。
人に成れたか
成人の皆様、おめでとうございます
成人の日になると、毎年得も言えぬ気分になります。
成人の日を既に終えた一般人は大半が、あの時楽しかった、行けばよかった、なんとも思わない、の三パターンに区分されるそうですが、どれでもない、得も言えぬモヤモヤ。
基本的に通過儀礼や風習は大事にする節があり、年越しそば食べておこうとか、正月に御節は作れないけどせめてなますだけは食べようとか、節分には恵方巻きは食べようとか、文化は年々淘汰されていっているし、元を辿ればなんの根拠もない言い伝えなのは知ってるけど、せめて日本人に生まれたんだから文化には浸って楽しんでおこうと。
でもそれをやってないからと言って、否定したり叩いたりすることはなく。
成人式に関しても、別に出席しなくてもいいと思うし、市長や代表の言葉を絶対聞く必要もないし、他人に迷惑がかからないならハメ外してバカやっても良いと思ってて。
で、自分は五年前、成人式に出席したんですが、いかんせん地元に友達がいない。
中高は大阪の私立に行ってたので、その友達は現地にはいないし、悩んで悩んで6年越しに、小学校の友達に連絡をする術を思いついたわけです。
当時私立に行った友達もちらほらいたので、記憶を辿って、僕をバチボコにイジメていたものの、卒業してからはお互いそれなりの仲になった、U君に連絡をしてみることに。
割とスマートに連絡がついたものの、彼から発せられた言葉は、Kと約束してるからそれでも良いかとのこと。
ぉぉー、、、いいよいいよー、、、
Kくんは小学校時代本当に微妙な距離感で、話したり遊んだりは少しあったけど、卒業してからは一切会っていない。なんなら思い出そうにも顔に靄がかかっている。
しかしそれを拒むと、当時単独行動が出来なかった僕は一人で成人式に行くルートが確定してしまう、それだけは避けたい。
元は同じ釜の飯( 林間学校のカレーとか )を食った人間だしいいじゃないかと自分を言い聞かし、ぼんやり承諾。
成人式当日、着慣れないスーツを着て待ち合わせ場所に行くと、二人は変わってるけど変わってないような、というか、Kくんに関しては「あー、なんかそんな顔やったね」みたいな。
揃ったので、では行きますか
と出発するも、道中会話が無い。
え?成人式、思ってた感じと違う。
とどのつまり、三人とも会っていない空白の6年間があるので、話すことが小学校の話か現状の話しかない。会うも地獄。
しかしながら三人は頑張っていたと今なら分かるんです。
徐々に氷が溶けるが如く、時間をかけて話は少しだけ弾んでいってたから。
結局、式が終わるまで三人は離れずに行動し、小学校の友達と再会したり、それぞれの個人の友達と会ったりと時間は過ぎ。
なんやかんやで式が終わった頃、これからどこに行こうか考えていた瞬間、一人が
「じゃー、帰りますか」
うそやろ
成人式って夜までが成人式じゃないの?
飯とか飲みとか行かないか勇気を振り絞り聞いてみると、中高の方で予定があるという一人と、そもそも成人式にそんなこだわりがなくて、親に行けと言われたから来た、もう帰りたいという一人。
あーね。
中高の友達は僕には数えるくらいしかいないし(というか中高のそういうのは声かかってないし)、でも成人式は楽しみたい。
完全に自分の立場が見えていなかったというか、温度差が異常だったわけです。
結局三人の、距離とか思い出とか現状とかが詰まったアイスキューブは溶けきらず、あの日から五年、今も連絡は一切なし。
でも別に行かなかったらよかったとか、そういうのは無くて、あの時一緒にいてくれた事に二人には感謝しているし、この出来事をきっかけに、当時一人行動が苦手だった自分が一人ラブホ程度は行けるくらいぶっ壊れたし、会場では当時少し好きだった女の子が子供連れてるのも見れたし、収まりとしては良いこともあったわけで。
今なら一人ででも、周りがどうなってるのか知らずに生きるなら、せめてどうなってるか観察しておこうとか、無い経験よりは有る経験精神で行ってる気はします。
でも結局大事なのって、大人になろうと自覚できているか、成人式迎えたら大人の仲間入りって勘違いしてるバカになってないかってとこで、別に成人式行かなくても大人になってる奴はいてるし、成人式行っても考えが幼稚なままのやつもいてるし。
そういう自分も未だに大人になれていないんですけどね。
だから「大人になれ」とは言える立場ではないけど、色んなきっかけを積んで自分自身を作っていくことで、人間は大人になるんじゃないかなとおもいます。これだけ積んだら大人!っていう目安も見えないんだけどね。
大人になる途中の皆様も、おめでとうございます。
-成人の日は、1948年に「1月15日は、おとなになったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日」と法律で定められました。(日本文化いろは辞典引用)